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コラム家づくり時評
強度偽装問題(2)特に建築家で建てる家の場合は、「監理」には図面どおりに工事がなされているかをチェックする以外にも、もうひとつ大切な役割があります。それは、図面に表しきれない細かい仕様を現場で指示することです。 設計と言うのは、あんなに大きく立体的なものを平面である紙の上に描くわけですから、完全に表現しようとすれば膨大な枚数が必要になりますよね。それでも建築家の場合は、工務店やハウスメーカーが描く図面の枚数よりも、はるかに多くの図面を描きます。完全自由設計ですから、ハウスメーカーのようにすでに仕様書があるわけでもなく、工務店のように自分が分かっていればいいというわけでもないので、施工者が少なくとも見積りができて部材を仕入れられるくらいの詳細な図面を描かなければなりません。 しかし、それでもやっぱり細かい部分は現場に入って実際にその場で指示したほうが手間が省けますし、その場にならないと決められない要素も少なからずあるのです。 これを、全くの第3者がやったらどうなるでしょうか? 図面に描いてないことは工務店か監理者にお任せということになれば、仕上げの段階で建築家が意図したデザインのニュアンスが全く違うものになってしまいます。空間的には設計どおりでも、意匠や視覚的な要素がぜんぜん違う家になってしまうのです。 では、そうならないために全てを図面に描いてしまえばどうかということになります。 しかし、そうなると今度は、今までの倍近くの図面を描かなければならず、設計料がとてつもなく高いものになってしまいます。監理をしない分、建築家に払う金額はあまり変わらないとしても、別途監理者に監理料を支払わなければならないわけですから、設計・監理料の総額は間違いなく増えますし、それを負担するのはもちろん建て主ということになります。 それでは建て主の負担が重かろう、ということで、1棟1棟細かい仕様を描くのはやめて、自分の建物に共通の仕様を作ってしまえ、という流れに当然なると思います。施工者には今までのような図面に加えて共通仕様書を渡せばよいと。 しかし、よくよく考えてみてください。それはすでに建築家ではなくハウスメーカーです。 つまり、「風が吹くと桶屋が儲かる」式に考えると、第三者監理が導入されれば、建て主のライフスタイルに合わせて一つ一つゼロベースから作る「完全自由設計」という意味での建築家の家は跡形もなくなくなってしまう可能性があるのです。 住宅は建て主本位であるべきですので、市場原理によって建築家という職能がなくなるのなら仕方ないことです。しかし、これだけ価値観やライフスタイルが多様化する中で、設計が施工の影響を受けやすい工務店か、自由度に大きな制約のあるハウスメーカーしか選択肢がなくなってもいいのでしょうか? まるで、街中にあるコジャレた手作りの洋食屋さんが全てなくなって、昔ながらのソバ屋さんか、ファミレスばかりになってしまうようなものです。ソバ屋さんやファミレスそのものがよくないわけではありませんが、選択肢がなくなること自体が、建て主にとっての不利益に思えてなりません。 そのようなわけで、もともと分業体制で建築するような大きな建物は別にして、住宅の場合は、監理は設計者自身が行う以外にないと私は思っています。
2005/12/11(関)
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